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12月21日の記録

今日は事例研究憲法の2部7問目と「事例から刑法を考える」の事例19を解いていました。短答をやらないとと思うとやりたくなくなってしまい、論文の勉強に走るというわかりやすいことになっています。

憲法は株式取引の損失補填規制と財産権の問題について。関連判例があるのは知っていましたが、事例問題で見たのは初めてでした。個人的な事情(?)などもあって、積極消極目的二分論の議論には違和感があり、薬事法判決の枠組で答案を書きたいのですが、実際やってみるとなかなか難しいです。解説には関連して役立ちそうな事項も触れてありますが、他の問題にも言えるものの、説明が少なくてちょっと不親切です。
比例原則の話ではあるのですが、審査密度を「事の本質」との関係で…とか考えると試験的に落第答案になりそうなので、二当事者対立的な主張では伝統的二分論を語らせ、私見で二分論+比例原則論みたいな答案を書くのがギリギリの妥協でしょうか。まぁ、先に読んだ上位答案を読む限り、二重の基準と目的二分論をあっさり書いて処理すればいいのだとは思いますが。

刑法の方は、自動車運転過失致死罪に関係して信頼の原則や結果回避可能性など、過失犯の構造を分かっているか問われているのと、犯人隠避と共犯の話。前半では過失犯の勉強不足が実感させられ、後半では「去年やっとけば」と反省しきり。ご案内の通り、今年の刑法本試験の後半でのメイン議論だったので。
本試験では事例長文なので過失犯の問題が出てもおかしくないよなぁという感じもあるので、試験的にスルーしがちな過失犯の理解もしっかり確認しておかなければいけません。

短答は憲法の統治残りを終了し、刑訴の誤答をやり直しています。明日は民法の誤答を復習し、短答まとめなどを読み直して23日のセルフTKCに備えることにします。正直なところあまり出来るとは思われないのですが、どこかで区切りはつけなければいけませんので。
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No title

はじめまして

以下の質問をさせて下さい。

>>比例原則の話ではあるのですが、審査密度を「事の本質」との関係で…とか考えると試験的に落第答案になりそうなので、二当事者対立的な主張では伝統的二分論を語らせ、私見で二分論+比例原則論みたいな答案を書くのがギリギリの妥協でしょうか。

石川先生に習われたようですね。
憲法解釈の連載を見てても,審査密度を「事の本質」との関係で,というワードをいつも見るのですが,これが判例ならば試験で使ってもいいのではないのでしょうか?
なぜ,これが使えないか教えて頂けると助かります。

どうもはじめまして

質問ありがとうございます。

もっとも、僕が解答適格を有しているとは思われないので、あくまで参考程度にとどめていただけると幸いです。あと、何かご意見があればよろしくお願いします。

お察しの通り、僕は学部時代から石川先生の講義を受けており、ゼミ生だったりもするので、理解できる範囲で石川先生の枠組を支持したくはあるのですが、試験では自重すべきかと考えている次第です。その理由は、主に2つあります。

第1の理由は、安定して答案作成ができないのではないかという点です。
判例が単純な目的二分論を取らず、「事の本質」(薬事法判決では、許可制による規制である点と、規制基準が距離制限という主観的に克服不能なものであることが審査密度を高めている。森林法判決では、一物一権主義の原則侵害が事の本質であると理解されている)により審査基準を確定しているというのは、かなり説得的ではあります。
しかし、その反面、事案ごとに「事の本質」を探求・論述する必要があるため、2時間という制約や分量の多さに鑑み、時間を消費し、安定した答案を作成できないのではないかという危惧があります。

もっとも、この点については、ある程度代表的な「事の本質」を判例から抽出して抑えるということで、応用は可能かもしれません。
石川先生も規制目的が事の本質足りうることを否定していません(薬事法判決では、「事の本質」ではなさそうですが、経済的規制の全てを違憲とする帰結を回避すべく、最後に消極目的を指摘している)。また、許可制と届出制の区別や規制要件の主観性、(これは長谷部先生の言い方ですが)ベースラインとして何らかの基準を想定できるかといった要素を事前に仕込むことは可能であり、そのような要素に言及して審査基準を論じるということはできるかもしれません。現に僕もその限度では頭を使っているつもりではあるのですが、それでも、これらの要素だけで審査基準を論じていくことは答案の構成として不安定であり、基本的には二重の基準+目的二分論(これらは別物の考え方ではありますが)をベースに芦部流の違憲審査基準論を展開していくのが無難ではないかと思っています。

第2の理由は、石川流の判例理解及び「事の本質」論が、残念ながら司法試験ではパッサブルではないと思われることです。
これは石川先生も残念がっているようですが(笑)、法教の連載レベルの議論は完全に実務・試験レベルを超越しており、少なくとも2時間の試験で展開するのは危ないというのが実際のところだと思います。判例が規制目的二分論だけでの処理を否定しているというレベルでは理解も進んでいるとは思いますが、そのAlternativeとしての審査基準論については学説でも固まっておらず、僕も混乱しているところです。採点官もほとんどの知識は芦部憲法水準だと思われますから、学生がハッスルしてもさほど高く評価されるとは思えません。
この点、ヒアリングでは「自動販売機」批判がされていますが、上位答案も含めた合格答案を見る限り、当てはめや論点への意識などはともかく、論理構成や論証などでは自動販売機的な議論にとどまっているように思われます。試験の性格上、自動販売機を完全に否定しては答案など書けないわけで、基本的な枠組を持たずに特攻することはできません。そこで、基本的な枠組として「事の本質」などから説き起こす議論を用意することは、僕の理解水準からしても難しいし、書ききったところでそこまで評価されるとは思われない、ということです。少なくとも、他の部分に力を注いだ方が、最終的な得点は上がるような気がしています。
*これは余談ですが、現在石川先生の助手をされている方で、憲法で会心の答案を書いたと思ったらものすごく低い点数で萎えたということがあったそうです(他の科目が優秀だったので合格していますが)

合格者と話していて感じることは、みんな基本的な知識を押さえて答案を作成することを心がけており、凄いことを書こうといった意識はないということです。当てはめを頑張る、といった程度の意識はありますが、法解釈論で気合を入れても評価されにくいというのはどうも受験通説らしく、実際現状ではそのような答案が評価されているようなので、上記のように考えた次第です。
ただ、憲法に関しては、他の科目に比べて、事実を法解釈に絡めるという要素が強いような気もしています。「事の本質」といわれる事案ごとの要素についても、基本的な枠組をベースにしつつ、審査基準を変動させる要素としてうまく活用できるようには意識したいと思いますし、「私見」の部分で、目的二分論だけでの処理を簡潔に批判できる程度の準備はしてもよいかとは思っています。

No title

豚さん解答ありがとうございます。

ヒアリングでは,なぜ自分の採用する審査基準を採用するのかという論述をしないといけないというコメントがあります。
審査基準の定立において,『事の本質』みたいなことを皆書いてくるのかなと思いました。
豚さんのおっしゃる,力を注ぐ他の部分とはどこの箇所をさしていますか?

話しは変わりますが,私は,宍戸連載,小山先生の権利と作法を見て,比例原則を最大限活用したいと思いましたが,正直法令違憲と適用違憲(処分違憲)の意味すら分かっていません。
適用違憲というまでもなく,同時に違法で決着がつくために適用違憲という概念自体がない?のではと迷っています。
H19年~H21年の参考答案などを見ても,法令と適用を区別して書いても同じことを繰り返して書いているような気がします。
この点についても,豚さんの意見をお聞かせ下さい。よろしくお願いします。

これもあくまで参考ということで

審査基準の定立に理由が必要ということ、そこに「事の本質」の叙述が有益であるというのはその通りでしょう。ただ、基本的なパターンは用意すべきなのだと思います。
表現の自由であれば、原告はその重要性(二重の基準論)を論証して厳格な審査基準を主張し、被告は制限的要素(内容中立規制であること、表現価値が低いことなど)を持ち出して審査基準を緩和し、私見ではそのうちいくつかをピックアップして、あるいは別の観点を付加して基準を立てる(だいたい間を取って厳格な合理性くらいになるのでしょうか)というのが基本的な流れなのでしょう。経済的自由だと、原告が薬事法での人格アプローチによる精神的意義を強調し、被告は社会関連性による規制の必要性や目的二分論を援用して緩和を図るという感じでしょうか。

この攻防のなかで、判例が語ってきた、そして出題された事案が含んでいる「事の本質」を盛り込むことは可能だし、望ましいのだとは思います。しかし、それだけで答案を書けるというものでもなく、ベースとして芦部先生の議論を論じるのが分かりやすいのかな、というように考えています。実際、僕が個人的にいただいた今年の上位合格者答案は、事の本質など全く捉えてなかったのですが、140点くらい取っていたので。
そうやって時間を使うよりは、行政法に時間をかけるほうが望ましいということなのかもしれません。実際、今年の行政法は(も)時間をかければ点が伸びそうな感じでしたし。

比例原則といっても、芦部流の三段階審査基準論とは無関係ではないと思います。これは「憲法上の権利の作法」にも書いてありますが、比例原則は目的-手段の関係を審査する方法であって、三段階審査基準はその審査密度をざっくりと表したものにすぎないと考えることができます。例えば、厳格審査基準では、やむにやまれぬ目的に対応して、それを正当化できるだけの理由(必要不可欠な手段であること)が要求されている、と理解できます。

法令違憲と適用違憲の違いは、前者が法令そのものに問題がある場合、後者が法令そのものはよいとしてもその事案に適用する場合はまずい場合、ということです(ほとんど語感のままですが)。
あるいは、合憲限定解釈で法令を救った上で、そのような限定解釈を取らずになされた処分を適用違憲にするという場合もありうるでしょう(この場合、単なる「違法」であって「違憲」という必要はないわけですが、違憲的に適用したという意味合いなのでしょう)。

例えば、H19の問題では、法令違憲では94条の「法律の範囲内」の論点や、一般的に宗教的行為の自由や財産権を侵害する条例であるという議論を展開できます。一方、適用違憲では、まさに本件当事者の事情であるところの「教団の危険性」を評価した上で、適用の是非を問うことができます。
この問題だと、住民の同意が要件となっていることがキーになっていますが、街づくりのための規制として住民の同意を要件とすることは合理的な手段であるから、法令レベルでは合理性があり、合憲であるという議論は割と説得的です(むしろ、法令レベルでは財産権侵害が専ら問題となり、宗教的行為の自由は間接付随的制約なので中心にはならないという議論も可能かもしれません)。
他方、具体的に教団に条例を適用する場面では、まさに住民の対立や教団への危惧感から、安全安心といった理由が全面に出てきています。そこでは、住民の同意は異質な少数者排除という形で問題となりますから、それを拒否処分の理由にしてよいのか、宗教的行為の自由を制限することが意識されている以上、明白かつ現在の危険を求めるべきではないか(あるいは法令レベルでそのような危険がある場合に限るという合憲限定解釈をする)といった考察が可能だと思います。
*自分が答案作成したときはここまで詳細には書けませんでした

H20のフィルタリング規制の問題も、法令自体の合憲性のほかに、被告のサイトは規制されるべき実質を備えていないこと、また被告の行為はそのような有益なサイトのみを閲覧できるようにする行為であり、一般的なフィルタリング解除技術を開示したり、これを促すような行為とはいえないことなどから、例外的に処罰すべきでない(そこまで処罰することは表現の自由の不当制約である)といった議論をすることができます。

法令違憲と適用違憲の区別は、そこで拾われる事実が法令一般の(別の当事者が出てきても主張できる)事実か、それとも当該当事者に固有の事情であるかによって可能だと思われます。答案を書く際にも、出てきた事実が法令そのものの評価に係るのか、当該当事者に固有の事情であるのかを意識すると、書き分けがしやすいと自分では考えています。
適用違憲の説明については、「憲法上の権利の作法」や長谷部先生の教科書該当部分なんかに解説があるので、僕のコメントよりそちらを参照されるほうがずっと有益ではあると思います…。
プロフィール

眠れる豚

Author:眠れる豚
名前:眠れる豚
2009年度新司法試験で討ち死にしてしまったため、再チャレンジのために淡々と勉強してきた法務博士(無職)。2010年の試験では何とか合格することができました。

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